Human Heart Support Class (Present of the preciousmadam )

Preciousmadamは4歳の時、3つのオレンジ色に光る塊が目の前で爆発する衝撃的出来事に遭遇 それ以降様々な不可思議や形無き魂の姿、声を聞くなど数多くの現象を体験する 3.11の震災以降、多くの尊い魂が訪問し心を寄り添う 1998年より心の「心の処方箋の会」主宰 世界のセレブリティのMENTORとして活躍 2018年より「 Human Heart Support Class」主宰 カウンセリングクラスを増設

懐かしいご婦人

もうすぐお彼岸ですね。

秋のお彼岸にいつも想い懐かしむご婦人がいます。

その方は現在、今生には居られません。
もう、7年ぐらい前に83歳でご逝去なされました。

とてもご聡明で美しいご婦人でした。
お名前は栄子さん.......


地方の大富豪のお嬢様としてお生まれになり、豊かな幼少時代のお話や、戦時中の勤労女学生として軍事工場でご勤務されたお話、終戦の時の嬉しさ、ご主人との出会いと結婚生活での戦い、ご主人とのお別れ、などご苦労の事や様々なお話を私に話して下さいました。

お子様はお二人居られました。それぞれ社会的地位の有るお仕事に就かれている関係で都内に暮らされており、離婚後は広いお屋敷にお独りで暮らされていました。

私を可愛がってくださり、ランチやディナーに良くお誘い下さいました。
80歳を過ぎていられても、お洒落に気を使い本当に素敵でした。
背筋を伸ばされ颯爽としたお姿に、可愛らしい笑顔で私は栄子さんが大好きでした。

親子程、年が離れていても二人で良くドライブをしたり、お買い物にも出掛けました。

お身体が心配で、一週間に二回、必ず朝の9時過ぎに電話を入れるようにしておりました。

栄子さんはお子様方に心配を掛けないように「寂しい心」を全て胸の中にしまって過ごしていたのです。

彼女は私に言いました。「朝、音の無い部屋で独りでしょ、起きたときに異次元に行ってしまったかと思うの.....。」
「窓を開けて、外を走る車の音や救急車のサイレンを聴いてね。良かった生きている........と、安心するのよ。」

「栄子さん、お嬢様や息子様とご一緒にお住まいになれないの?」と伺うと、「いいのよ、子供達にはそれぞれの人生が有るのよ。私には私の人生が有るの。だから独りで生きているのは当たり前のことなのよ。」

私に「貴女はまだ若いから解からないけれど、私の年になると解かるようになるわよ。大丈夫よ、私は平気....。」

と微笑みながら話して下さいました。海外旅行の後、体調を崩されそのまま旅立って逝かれました。
最後までお子様達に「寂しい心」を見せずに優しい笑顔で天国へと逝かれました。

こんな風に子供を愛する形も有るのだと.......凛としたお心とそのお姿に心の底から感銘を受けました。


毎年、お彼岸が近づくと栄子さんが私に会いに来てくれます。


そして、「大丈夫よ、私は平気.....。」と笑顔で囁いて下さいます。

今年もお会いできるのを楽しみに待っています。

お部屋に栄子さんのお好きだった薔薇の花を飾ってお待ちします。



合掌