誰にも解かりません。
今日は学生の時から親しくお付き合いしている友人のご主人のご命日です。
学生生活を共に過ごし、お互い同じ位の時期に結婚し、子供が生まれ.....住む地域や生活環境は違っても、人生の節目にはお互いに時間を作り、会って食事をしたり、家族の話を相談したりしておりました。
そして、ご主人とも彼女の結婚前から存じ上げておりました。幼馴染の二人は地元のお祭りで再び出会い........
恋に落ち、華燭の天を挙げたのでした。大らかで頼もしい彼と小柄な彼女は本当にお似合いの二人でした。
10年、15年と、どこの夫婦にもあるような時が過ぎて彼らにも倦怠期が来ていたのです。
彼女の口から初めて家庭内の状況とご主人への不満を聞いたのは10年前位でしょうか........
その時「離婚」をしたいと聞きました。
しかし、地方の閉鎖的な地域に住まい、自宅を建設のときは彼女の父親が保証人になっているのです。
多くの要因から別れる事は並大抵では有りません。
泣きながら窮状を話す彼女を様々な言葉で励まし、子供の成長を見守りながらご主人との関係を修復できないのかを模索しました。彼女は私に宥められ落ち着きますが........心の中は変わりません。
夫婦生活も10年以上なく、愛情は冷めていると.......生活する上での最低限のことは同居人としてやるが、顔を見るのも嫌だと........
そんな苦しい時期が続き幾年かが過ぎました。上の子供達は成人し、末子が来年成人式を迎えるという年、
ご主人は事故で呆気なく命を落とされたのです。
脳幹出血で病院に運ばれ数時間で........彼女の目の前でご主人は静かに息を引き取りました。
呆然とする彼女にはこの事実を理解することが出来ない状態でした。
子供達やご親族に支えられ御葬儀などが一連の流れで終えられ、やっと落ち着いた頃に少し話をしました。
「何が起こったかは理解しているが、自分がどうなるのかが解からない......死んで欲しいと願った時が有ったからこんなことになってしまったのだろうか......私の責任なんだろうか......」彼女は自分を責めていました。
確かに、悩んでいた数年間........彼女の口からそのような言葉を聴いたことが有りました。
しかし、それは誰もがナーバスな心の時にふっと放ってしまった言葉で有り、望んでいたのでは有りません。
ご主人がお亡くなりになってから一年後に法的な処理が全て整い、自宅のローンや全ての借金などが解決し、
彼女は経済的に開放されたのでした。
あれから、数年経ちました。彼女は子供達に守られながら一生懸命生きています。
心の中は誰も見えません。
人の一生は本当に儚いものです。
毎年、2月7日は彼女と御主人を想い心静かに過ごすようにしています。
合掌。