この世に生まれるのは大変ですが、亡くなるのはもっと大変かもしれません。
お彼岸なので考えてしまいます。
昔は「ボケ」と言われた病気は現代では「認知症」という分類に括られ、多くに人が「認知症」という言葉を理解しています。
私の祖母も29年前に84歳で亡くなる直前まで「認知症」の症状が出ていました。
その頃はまだ、「ボケ」という扱いで投薬も処方されずに、薬を欲しがる祖母に、主治医の指導により<紙に粉砂糖を少し乗せて包み>、祖母に「はい、お薬だよ」と言いながら渡して飲ませた記憶が有ります。
腰の曲がった小さな身体の祖母がある日突然、縁側に置いてあった小さな丸椅子を振り上げ、縁側に有る大きな引き戸の硝子を叩き割ったのです。
実家は昭和初期に祖父母が建てた家を、私の両親が立て替えた家でした。
場所は昔から変わらないのですが、祖母は「自分の家に帰る」と叫び、硝子を叩き割ったのです。
主治医が駆けつけて、精神安定剤を注射すると、祖母は安心した顔で何事も無かったようにスヤスヤと眠りました。
大きな硝子戸は粉々に割れて、両親が片付け業者さんへ修理依頼の電話をしていたのを鮮明に覚えています。
小さな身体の祖母に、どうしてあんな力が出たのでしょうか......また、夜中に家に帰ると叫びながら玄関の鍵を壊し出ていくときも有りました。鍵を壊して......そのようなことが何度か有り、その都度両親は必死で対応していました。
私は結婚し上の子供が幼く、姉は妊娠中であまり祖母の面倒は看れませんでした。両親、特に母は大変だったことを思い出します。
祖母はだんだん寝たきりの状態が続き、最後は眠るように静かに息を引き取りました。
主治医は「老衰ですね、ご自宅でご家族に囲まれて幸せでしたね」と微笑ながらお話されました。
最後は食欲も無く、お水も少し飲むくらいで一日中寝ていました。「老衰」だったのですね、本当に生き抜いたのだと思います。今生に頂いた命を最後まで使いきったのです。幸せなことです。
全世界で「胃ろう」が問題になっています。
人間の尊厳を考えると果たしてどうなのでしょうか、人それぞれ考えが異なります。
「選択の自由」を考えるとき、本人の意思も事前に聞き取り、取り入れることが出来たら幸せだと思います。
合掌